千葉物語 [遠征番外編]
しつこく続いています、関東編です
あ、石投げないで・・・(^^;
今回まずは、逓信遺産
対外通信を目的として、1926年開局
日本で初めて短波による標準電波送信をした施設です
現地は、区画整理地内にあり
建物老朽化、もちろん使われていないこともあって
解体が決まっていましたが、いま歴史的遺産として保存運動がされています
事前にネットでみたところ
「塀に囲まれている」なんて記事もあり
“まぁ ちらっとでも見れたらいいかな?”なんて思いながら
たぶん、二度と行くことはないだろう地の駅に降り立ってました
バスで移動、バス停から徒歩
もうすぐに、というかあっけなく見えてきました
検見川(けみがわ)送信所(跡)
開局は1926年、関東大震災の3年後
設計は、東京中央郵便局や大阪中央郵便局も手掛けた
逓信省技師 吉田鉄郎氏
1930年に、日本初の国際放送を行った送信所です
コールサインはJ1AA
廃止は、1979年
もちろん、電波塔は残っていません
当初、学校用地として確保していた跡地ですが
保存運動によって、その再検証と今後の処置を検討中とのこと
この時代、建築はモダニズムが中心で
同時期の逓信省に、『聖橋』 設計の山田守氏も在籍していたそう
コーナーにRが( 『泰明小学校』は1929年)
さすがに、あちこち剥離がありますが
保存運動がかなえば、また整備されて公開されることでしょう
(このままがいいっていう人もいるケロ・・・)
同じ千葉で、場所が変わります
普通に、企業倉庫として使われている建物
なんてないものに見えますが、実は、旧陸軍気球連絡隊格納庫
その気球連隊の任務の一つ、純国産兵器「ふ」号作戦
「気球爆弾」の格納庫だった、とされている倉庫です
気球(風船)爆弾とは、気球に爆弾を搭載
ジェット気流に乗せて、アメリカ本土を攻撃しようとした兵器です
約9300発が放球、アメリカで確認されたもので361発
不発弾に触れた、ピクニック中の民間人が6人爆死というものでした
(アメリカ本土で日本の攻撃により死者が出た唯一の事例)
気球を天井からつるすため、高い天井が必要とされ
有楽町の日本劇場(ここでも出てくる現有楽町マリオン)や
両国国技館、 『響さん』たちが訪れた大久野島等でも製作されたものです
材質は、こうぞ製和紙、糊はコンニャク糊
この糊の材質を、当時アメリカは特定することができなかったそう・・・
また、当時アメリカはジェット気流の存在を知らず
かなりの努力を払って、安全地帯で迎撃を試みたのだとか
しかし、和紙とコンニャク糊で約7700kmとは・・・・
この三角部は窓だそうで 倉庫だけでなく兵隊の宿泊施設もあったのとのこと
こうやって、平和に使われていると
そんなことはみじんも感じさせない建物なんですけどね・・・
千葉港の向こうに、日が落ちていきました
次回は、ホントに(^^;最終回です。
あ、石投げないで・・・(^^;
今回まずは、逓信遺産
対外通信を目的として、1926年開局
日本で初めて短波による標準電波送信をした施設です
現地は、区画整理地内にあり
建物老朽化、もちろん使われていないこともあって
解体が決まっていましたが、いま歴史的遺産として保存運動がされています
事前にネットでみたところ
「塀に囲まれている」なんて記事もあり
“まぁ ちらっとでも見れたらいいかな?”なんて思いながら
たぶん、二度と行くことはないだろう地の駅に降り立ってました
バスで移動、バス停から徒歩
もうすぐに、というかあっけなく見えてきました
検見川(けみがわ)送信所(跡)
開局は1926年、関東大震災の3年後
設計は、東京中央郵便局や大阪中央郵便局も手掛けた
逓信省技師 吉田鉄郎氏
1930年に、日本初の国際放送を行った送信所です
コールサインはJ1AA
廃止は、1979年
もちろん、電波塔は残っていません
当初、学校用地として確保していた跡地ですが
保存運動によって、その再検証と今後の処置を検討中とのこと
この時代、建築はモダニズムが中心で
同時期の逓信省に、『聖橋』 設計の山田守氏も在籍していたそう
コーナーにRが( 『泰明小学校』は1929年)
さすがに、あちこち剥離がありますが
保存運動がかなえば、また整備されて公開されることでしょう
(このままがいいっていう人もいるケロ・・・)
同じ千葉で、場所が変わります
普通に、企業倉庫として使われている建物
なんてないものに見えますが、実は、旧陸軍気球連絡隊格納庫
その気球連隊の任務の一つ、純国産兵器「ふ」号作戦
「気球爆弾」の格納庫だった、とされている倉庫です
気球(風船)爆弾とは、気球に爆弾を搭載
ジェット気流に乗せて、アメリカ本土を攻撃しようとした兵器です
約9300発が放球、アメリカで確認されたもので361発
不発弾に触れた、ピクニック中の民間人が6人爆死というものでした
(アメリカ本土で日本の攻撃により死者が出た唯一の事例)
気球を天井からつるすため、高い天井が必要とされ
有楽町の日本劇場(ここでも出てくる現有楽町マリオン)や
両国国技館、 『響さん』たちが訪れた大久野島等でも製作されたものです
材質は、こうぞ製和紙、糊はコンニャク糊
この糊の材質を、当時アメリカは特定することができなかったそう・・・
また、当時アメリカはジェット気流の存在を知らず
かなりの努力を払って、安全地帯で迎撃を試みたのだとか
しかし、和紙とコンニャク糊で約7700kmとは・・・・
この三角部は窓だそうで 倉庫だけでなく兵隊の宿泊施設もあったのとのこと
こうやって、平和に使われていると
そんなことはみじんも感じさせない建物なんですけどね・・・
千葉港の向こうに、日が落ちていきました
次回は、ホントに(^^;最終回です。
J1AAって、すごいコールサインですね~私はJE9です。気球でアメリカ本土を攻撃ですか!…当時の日本軍の発想が凄いですよね~
by ローキン (2010-12-09 04:04)
関東に来られていたのですか~
連絡をいただければ…(^^ゞ
気球のお話、そんなことがあったのですね…
by おこりんぼ (2010-12-09 10:10)
関東まで行ってどんなとこ回ってんだ!
って、突っ込んでもいいですか?(笑)
ちょっと郊外へ出るとこんなステキなスポットがあったのですね?
風船爆弾・・・
怖いような情けないような武器ですね。
by 響 (2010-12-09 18:40)
☆ローキンさん こんばんわ!
コールサインの件は、情報まる写しで
詳しくなくてごめんなさい・・・
たしか、地域でも記号が違うんでしたっけ?
“気球で攻撃”
当時、アメリカはジェット気流の存在を知らなくて
どこから飛ばしているのか謎だったそうです
被害も報道統制でひた隠しにして
日本が、届いていたのを知ったのは戦後らしいですよ
☆おこりんぼさん こんばんわ!
ごめんなさい・・・
平日の、しかも夜は約束があったので
こちらから突撃できそうな、かみさまさんの仕事先だけ
お邪魔させていただきました
次は、時間とります!(いつかは・・(^^; )
☆響さん こんばんわ!
響さんにツッコんでいただければ 本望!(笑)
大久野島の施設跡も、天井が高い建物でしたね
アメリカは、この風船に細菌兵器がくっついてくる事や
人が乗ってくることをかなり恐れていたようです
by T2 (2010-12-11 23:26)
気球の話は聞いたことがありましたが、和紙とこんにゃくのリだったとは驚きですね。ハーレーで唯一行ってない本土は、後千葉県だけなんですよね(^^;;
by barbie (2010-12-12 21:18)
☆barbieさん こんばんわ!
そう、それでジェット気流に乗って
7700kmですよ、すごいですよね
“千葉県” あ、そう話されていたのをうっすら覚えてます
せっかくだから、ずっととっておくとか?(笑)
by T2 (2010-12-14 23:11)