古代の土木遺産 [気になるモノ、コト]
“そんなの知らなかった” ということが
この歳でもよくあります(^^;
(タブン トシはカンケイナイ トオモウケド・・・・)
今回は、そんな話
福岡県筑紫郡那珂川町というのは
現在、このあたりで残る唯一の“『郡』”ですが
旧国名(郡制共)を残す、という点で貴重な存在の場所です
その那珂川町
背振山地に水源をかまえ、豊富な水量を与えて
中洲のネオンを映しながら玄界灘に注ぎ込む
2級河川 『那珂川』が その名前の元になっていますが
その那珂川を見に行きます
R385を南へ
このあたりは『三瀬』や
『東背振』に行くとき通るいつもの道なんですが
山田の交差点を過ぎて、やや行ってから右に入り込みます
ちょうど、山裾から平野部の広がり始めにあたる
この部分に、本流とは離れていく方に造られた用水路のために
一ノ井堰と呼ばれる堰が設けられています
上流側に向けて写真を取っていたら、こんなのを発見!!
ここもたまにやってますね~
一ノ井堰の築造年代は不明らしいですが
たびたびの改修を経て、現在でも可動堰がある場所
この場所から、農業用水路が分かれていきます
(改修前の堰のあと)
この水路、掘らせたのは、福岡県のあちこちに伝説を残す
『神功皇后』
ちなみに、『hoshizou』さんが
大好きな
“しめたん”の“志免”は、神功皇后がお紙目をかえた所から、という説もあります
神功皇后は、新羅(しらぎ)出兵の際
勝利を祈るため神田開発を行い、その田に水を引く為に
掘らせた水路が、ここ『裂田の溝(うなで)』
日本書紀に名前が出ていて、4から6世紀にかけて
“さくたのうなで”と呼ばれていた同じ場所にあり
農業用水路として使われ続けている、貴重な水路です
溝(みぞ)ではなく、「うなで」と呼ばれるのは
あぜ道の「畝(うね)」から
「うねのていぼう」⇒「うなてい」⇒「うなで」と変化したのではないかとのこと
(元福岡経済大 田中正日子教授の話)
生活用水路ですから、隣接住居にはこんな感じの場所も
日本最古の用水路は、改修されたので
護岸はこんな感じです
改修される前も通った記憶があるんですが
そんなに貴重なものだって、知らなかったから
ちょっと残念
昔は石積ではなく、単なる土羽だった気がします
でも、2枚目の写真の案内は
昔見たことがある記憶があるので
たんに、注意して見てなかった、ということなんでしょうけど・・・(^^;
溝にそっていくと、県575を突っ切ります
広い田んぼは、この用水のおかげかな?
前方に見える森、これが裂田(さくた)神社です
(写真右側の森)
溝は、この神社を迂回するように回っていますが
この裏手にある丘が、とどろきの丘と呼ばれ
安徳天皇の行宮があった所だとのコト
弥生時代の大きな集落址も見つかっている
違う呼び方で、安徳(あんとく)台
ここで、古代の土木事業は、大きな岩に当り難渋します
皇后が武内宿禰(すくね)に命じ、神祇を祈らせたところ
雷が轟き、大盤石の上に落ち、石が裂けて水が神田に通じるようになった とのこと
ということで、この裂田神社は神功皇后を祭ってあります
“うなで”は安徳台の切れ目を縫っていますが
改修で遊歩道が設けられています
裂田神社からすこし行くと、護岸改修と安徳台側に遊歩道が
実は、ネットで調べてみると
この場所は、素掘りの跡が残っていた場所だったのだそうですが
安全面などの観点から改修されたのでしょう
改修前は、この断面に
阿蘇の火砕流(aso4)跡も確認できたそうですが、今はわからないでしょう
安徳台の終わりから、また水田が広がります
(遠くの森が安徳台)
1600年もの時を経てもなお
人々の生活に水を潤し続ける貴重な土木遺産でした
そんな古代大土木工事の跡を見てみたい!
という方は 『このあたり』
キャー
水路萌え、堰萌えです。ついでに今マイブームなので(嬉)♪
ここは今は亡き某ブログの記事にしたなぁ(懐)
その辺の田園風景大好きです
断面は、草が生えてなければ、結構素堀っぽい感じがしましたよ
by F (2010-07-02 17:14)
しめたんはダメです。
しめタンって、しょこタンみたいでダメです。
あれは、志免町竪坑櫓ですから。
藤岡弘のような男臭い奴を、ふったんっていうみたいです。
あっ、水路関係ないな。
私は、ダムとか、水門が大好きなのです。巨大建造物はいいよね~。
by hoshizou (2010-07-03 09:03)
水路幅が広く浅い…
近代のは、細く深いですよね。
民家にある水路、ガードレールがないから
車で突っ込んでしまいそ~(笑)
たぶん近くを通ってるのでしょうけど知らなかった。
というより、気付かなかったです。
by かおりん (2010-07-03 10:19)
こんな歳になったからこそ(笑)興味が持てるのかも。
色々な構造物に興味が湧いてきます。
興味と言えば、上流にいたツートンカラーにも目がいきますね。(@_@)
by yosi (2010-07-03 11:42)
こんにちは。
為になりますたw
長い間使われ続けられているのは素晴らしい事ですね。
那珂川と言えば茨城県をイメージしてしまう関東人です(笑)
by key-k (2010-07-03 14:13)
☆Fさん こんばんわ!
堰萌え? さすが!
しかも、記事にしてあったんですね 見損ねました(^^;
草のところはたしかに、素掘りっぽく残してある感じですね
むか~し見た記憶と、頭の中で重ねてました
☆hoshizouさん こんばんわ!
ごめんなさい、志免町竪坑櫓ですね(^^;
古代なので、“巨大”とはいきませんでしたが
時代を考えると、黒部ダムに匹敵の建造物だと思います!
☆かおりんさん こんばんわ!
さすがに古代なので
深く掘ると、土をとどめ置く技術が大変だったかと・・・
疏水なんかは、ガードレール無い方が雰囲気いいけど
たくさん突っ込むでしょう(笑)
R385が、この水路を横切っているので
必ず通っているとは思うけど
普通、気づかないでしょう そんな場所です
☆yosiさん こんばんわ!
そうなんです(笑)
そんな年代になって、響さんはじめ
いろんな造られたものを紹介していただいてる
方々のおかげで、目が向くようになりました
上流のツートンは、また違った意味でですけどね(^^;
☆key-kさん こんばんわ!
壊されずに残っているのが、すごいと思います
茨城の那珂川って、一級河川なので
こっちの方がマイナーですよ
ただ、“歓楽街 中洲の川” っていうとメジャーかも(笑)
by T2 (2010-07-03 23:06)
GWに通ってた近くなんですね。
近場にこんなおもしろい史跡があっていいですね。
生活用水路ですが、お掃除が行き届いていますね。
by barbie (2010-07-05 00:26)
☆barbieさん おはようございます!
近いは近いんですが、こないだ通ったところからは
山を越えたところなのです
京都は、インクラインと高瀬川
あ、それは運河ですね(^^;
人の営みは、水とともに!
by T2 (2010-07-06 08:01)