沈みゆく道 2 [ドライブ]
リニューアルもあり、ちょっと間延びしましたが・・・・
つづきです
Uターンの地点は「背振少年自然の家」付近
この先、板屋という集落があり
そこから防衛庁道路を通って背振山頂へ向かう道と
そのまま、板屋峠を越えて
福岡市早良区脇山へつながる道の分岐点があります
また、北(福岡)側には「背振ダム」というダムも存在しています
那珂川水系は、この短い距離の間に
「背振」「五ケ山」「南畑」の三つのダムが出来上がることになります
ちなみにこの那珂川、この背振を源として
那珂川町から福岡市に入り
歓楽街中洲をはさんだ川になり、博多湾にそそいでいます
標高560mにある少年自然の家、背振山北斜面となる道端には
先日の雪が少し残ってました
登ってきた道を戻って、佐賀橋まで
途中、登りに見た「山祇(やまずみ)神社」の反対側
工事が進んでいます
現在、西鉄バスが板屋~佐賀橋間を走っています
その数 4往復/日
ダムの建設によって、この路線も廃止が決まっています
現在、板屋集落はいわゆる“限界集落”
大事な足のバス路線がなくなり
集落存続がむずかしくなっていると聞きます
小学校5年か6年のとき、遠足で背振に登りました
佐賀橋まで貸し切りバスで、そしてこの道を歩いて山頂まで
板屋集落を越えると、もちろん集落はありません
佐賀橋からの住宅が点在する道が終わった板屋こそが
登山の始まりだったとの思いが残っています
県136(入部中原停車場線)はR385と直交し、七曲峠を経て
佐賀県中原町へ降りていきます
(奥が七曲峠方面)
しかしながら、この道を知ったときには、すでに「車両通行止め」になってました
いまから、17、8年前、佐賀側からこの道をアプローチしたことがあります
坂本峠への林道分岐点を越えると
すれ違う車もなく、夕方だったこともあり心細い思いをしました
おそらく福岡側だった思うんですが
道路からポールが生えていて「通行止め」を納得しました
その後は知らないのですが
確か通行止めはそのままだったという記憶があります
佐賀橋まで戻ったら、背振トンネル方面へ右折、R385に戻ります
すぐに、旧道と背振トンネルへの道の分岐点があります
(右側の登っている道が背振トンネルへの道)
この、新しい道の右側にも若干の民家がありましたが
しばらく前に立ち退き移転してしまいました
現在、佐賀側から背振トンネルをこえて工事ダンプが行き来しています
付け替えは正面上に見える橋です
難所であった坂本峠の道
今は通る人も少なくなった道を登って行きます
新しくなる橋のたもとから見た風景
新しい橋&道
この橋 「大野橋」と命名されたようです、
実は先ほどの「佐賀橋」バス停横の橋の名前と一緒
そして現在の仮道路の脇にも
古い大野橋がありました
と言うことは、佐賀橋もどこかの橋の名前になる可能性が??
この橋の袂から見える風景は、すべて沈むようです
実は今回、調べるまでダムがどのあたりにできて
どのあたりが沈むか、と言うことも想像つきませんでした
今来た道を引き返していて発見
む、む、む・・・・・
予定ダム水位の目安看板でした、こんなものがあったとは!!
ということは・・・・
ここでみたほとんどの道は沈んでしまう運命に!!
見返してみると、向こうのほうにも、赤い線の看板
帰って写真を見返して気づきました
先ほどの県136沿いの工事現場にも3つの看板
こうやってみると、いかに広範囲がダムに飲まれるかがわかります
分岐点まで戻って、背振トンネルの方へすこし上ります
途中から、先ほどの水位看板のほうを見ます
沈みゆく道とこれからの道
交代はまだ先ですが
いずれ上から見下ろすだけの風景となるでしょう
さきほど見下ろしていた古い橋(大野橋)
日本各地で、こういった消えていく集落と道路があったと思います
また、これからそうなる運命の場所も存在しています
その必要性や反対運動の広がりで、計画見直しになったダムも多数ありますが
ここ五ケ山ダムは、このまま進んでいくのでしょう
しかしながら、変わってしまう風景は戻ってきません
来たR385を戻ります
南畑ダムから佐賀橋の途中に、真新しい舗装の部分がありました
長年、R385として相当数の交通を受け止めてきた道です
この場所も、ダム完成後は廃道となる場所ですので
もしかするとこれが最後の補修となるかもしれません
その化粧を、すこし感傷的に眺めたあと、降りていきました
ほどなく南畑ダムが見えてきます
五ケ山ダム
計画始まりが1979年(昭和54年)
着手が1983年(昭和58年)
そして完成予定は2017年
受益の効果を考えての建設だというのは理解しますが
ダム工事は相当の年月を要し、そのあいだに取り巻く環境も変化します
『小川内の杉』は樹齢7、8百年
英彦山の『鬼杉』
よりは若いですが
鎌倉時代から五ケ山を見てきた巨木なども犠牲にしているかもしれないということを
その効果を受ける我々は心に残し
子供たちに伝えないといけないと、改めて思いました。
つづきです
Uターンの地点は「背振少年自然の家」付近
この先、板屋という集落があり
そこから防衛庁道路を通って背振山頂へ向かう道と
そのまま、板屋峠を越えて
福岡市早良区脇山へつながる道の分岐点があります
また、北(福岡)側には「背振ダム」というダムも存在しています
那珂川水系は、この短い距離の間に
「背振」「五ケ山」「南畑」の三つのダムが出来上がることになります
ちなみにこの那珂川、この背振を源として
那珂川町から福岡市に入り
歓楽街中洲をはさんだ川になり、博多湾にそそいでいます
標高560mにある少年自然の家、背振山北斜面となる道端には
先日の雪が少し残ってました
登ってきた道を戻って、佐賀橋まで
途中、登りに見た「山祇(やまずみ)神社」の反対側
工事が進んでいます
現在、西鉄バスが板屋~佐賀橋間を走っています
その数 4往復/日
ダムの建設によって、この路線も廃止が決まっています
現在、板屋集落はいわゆる“限界集落”
大事な足のバス路線がなくなり
集落存続がむずかしくなっていると聞きます
小学校5年か6年のとき、遠足で背振に登りました
佐賀橋まで貸し切りバスで、そしてこの道を歩いて山頂まで
板屋集落を越えると、もちろん集落はありません
佐賀橋からの住宅が点在する道が終わった板屋こそが
登山の始まりだったとの思いが残っています
県136(入部中原停車場線)はR385と直交し、七曲峠を経て
佐賀県中原町へ降りていきます
(奥が七曲峠方面)
しかしながら、この道を知ったときには、すでに「車両通行止め」になってました
いまから、17、8年前、佐賀側からこの道をアプローチしたことがあります
坂本峠への林道分岐点を越えると
すれ違う車もなく、夕方だったこともあり心細い思いをしました
おそらく福岡側だった思うんですが
道路からポールが生えていて「通行止め」を納得しました
その後は知らないのですが
確か通行止めはそのままだったという記憶があります
佐賀橋まで戻ったら、背振トンネル方面へ右折、R385に戻ります
すぐに、旧道と背振トンネルへの道の分岐点があります
(右側の登っている道が背振トンネルへの道)
この、新しい道の右側にも若干の民家がありましたが
しばらく前に立ち退き移転してしまいました
現在、佐賀側から背振トンネルをこえて工事ダンプが行き来しています
付け替えは正面上に見える橋です
難所であった坂本峠の道
今は通る人も少なくなった道を登って行きます
新しくなる橋のたもとから見た風景
新しい橋&道
この橋 「大野橋」と命名されたようです、
実は先ほどの「佐賀橋」バス停横の橋の名前と一緒
そして現在の仮道路の脇にも
古い大野橋がありました
と言うことは、佐賀橋もどこかの橋の名前になる可能性が??
この橋の袂から見える風景は、すべて沈むようです
実は今回、調べるまでダムがどのあたりにできて
どのあたりが沈むか、と言うことも想像つきませんでした
今来た道を引き返していて発見
む、む、む・・・・・
予定ダム水位の目安看板でした、こんなものがあったとは!!
ということは・・・・
ここでみたほとんどの道は沈んでしまう運命に!!
見返してみると、向こうのほうにも、赤い線の看板
帰って写真を見返して気づきました
先ほどの県136沿いの工事現場にも3つの看板
こうやってみると、いかに広範囲がダムに飲まれるかがわかります
分岐点まで戻って、背振トンネルの方へすこし上ります
途中から、先ほどの水位看板のほうを見ます
沈みゆく道とこれからの道
交代はまだ先ですが
いずれ上から見下ろすだけの風景となるでしょう
さきほど見下ろしていた古い橋(大野橋)
日本各地で、こういった消えていく集落と道路があったと思います
また、これからそうなる運命の場所も存在しています
その必要性や反対運動の広がりで、計画見直しになったダムも多数ありますが
ここ五ケ山ダムは、このまま進んでいくのでしょう
しかしながら、変わってしまう風景は戻ってきません
来たR385を戻ります
南畑ダムから佐賀橋の途中に、真新しい舗装の部分がありました
長年、R385として相当数の交通を受け止めてきた道です
この場所も、ダム完成後は廃道となる場所ですので
もしかするとこれが最後の補修となるかもしれません
その化粧を、すこし感傷的に眺めたあと、降りていきました
ほどなく南畑ダムが見えてきます
五ケ山ダム
計画始まりが1979年(昭和54年)
着手が1983年(昭和58年)
そして完成予定は2017年
受益の効果を考えての建設だというのは理解しますが
ダム工事は相当の年月を要し、そのあいだに取り巻く環境も変化します
『小川内の杉』は樹齢7、8百年
英彦山の『鬼杉』
よりは若いですが
鎌倉時代から五ケ山を見てきた巨木なども犠牲にしているかもしれないということを
その効果を受ける我々は心に残し
子供たちに伝えないといけないと、改めて思いました。
ずいぶん広い範囲が沈んでしまうんですね。
ダムを造ってるのは知ってたけど、こんな事になってるとは
地元に住んでいながら、全然知りませんでした。
これらの写真は、貴重な記録になりますね。
たった数十年しか生きてないけど、その間に福岡も
大きく変わっているんですね。
私が小さい頃は、路面電車に乗ってたのに…(笑)
どんたくの花電車が懐かしいです。
by テトラ (2008-02-28 01:46)
テトラさん おはようございます!
反対運動もあったはずなんですけど、着々と進んでいました
福岡は、特にこの20年その変化が加速してますよね~
(アジア太平洋博覧会以降)
僕も、小学校2年まで早良区藤崎に住んでいたので
路面電車にも結構乗りました
このところやっと慣れましたが
つい“明治通り”を“貫線” って言ってましたね(^^;
by T2 (2008-02-28 07:26)
こんなに広範囲が沈むんですね。
走ったことのある場所も多いのでびっくりしました。
by GATA (2008-02-28 17:20)
☆GATAさん こんばんわ!
今回行ってみてびっくりしたんです、この広範囲
このあたりの道は、福岡の住人であれば
一度や二度は通ったことあると思うんですよ
恐るべし土木工事です。
by T2 (2008-02-28 23:27)
これは想像以上にデッカイダムですね。
一度大渇水を経験してる福岡なので
かなり思い切った事業に踏み切ったのでしょうか。
しかし佐賀の山奥の道もほんと綺麗になってきましたよね。
暖かくなったらバイクでまた走ってみたいです。
by 響 (2008-02-29 20:20)
☆響さん こんばんわ!
そうなんです、まさかこんなに広範囲が沈んでしまうとは
思って無かったです
大渇水のあと、さまざまな対策が採られたので
(筑後川導水など)
はたして渇水対策として必要かどうかは疑問だと思うんですけどね・・
佐賀の道路事業は、今すごいと思います
この背振山系のあたりも、かなり改良が進んでいますよ。
by T2 (2008-02-29 21:58)
最後にこのルートを通ってから1年近くになりますが、ずいぶん
進んでますね>工事。
大して大きくもない那珂川ですが、こんなにダムを作る意味は
あるんですかねぇ。背振ダムの水は普段はほとんど使われて
いないようですし。まぁ、走りやすくなるのは嬉しいのですが、
意味のある税金投入をして欲しいもんです。大規模林道や広域
農道を走っているといつもそう思ってしまいます。
by 禄太郎 (2008-03-02 17:21)
☆禄太郎さん おはようございます!
ひそかに、着実に進んでました。
僕も最近通ってなかったんで、目的あって見に行ったとはいえ
こんなに変わっていてびっくりでした。
“意味のある税金投入”ほんとにそう思います。
by T2 (2008-03-03 07:13)
想像以上にいっぱい沈むんだなぁ
夏の渇水で建物の上の方とかは見たことあるけど
大昔に沈んだダム湖の水抜いて覗いたら色んなもん出てきそう
殆ど泥ん中かな?
しっかし作るのに時間掛かるんですねぇ
堰作って(1~2年?)で終わりかと思ってました
by エスねら! (2008-03-03 23:14)
☆ エスねら!さん おはようございます!
渇水時だけ見える建物があるダムなんかも、多数存在しますよね~
小さい砂防ダムなら数年かもしれません
このダム、立ち退き移転がおそらく50戸以上あったのでは?と思います
そういった面を含めて時間がかかるのでしょう。
by T2 (2008-03-04 09:42)